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十年前。
三国時代の終焉を招く戦が起こった。
そのなかで、少年の父は大将のひとりとして蜀漢の討伐に向かい、見事これを打ち滅ぼした。
そして己の信念に従い、魏に反旗を翻すため浅葱(アサギ)色の英雄と手を組み、再び国家を建てようとした。
計画の最終段階で、叛乱に遭って殺された。
十年前に、父は母と結ばれ、少年をその胎(ハラ)に宿した。
父と浅葱色の英雄が斃(タオ)れてから、母は山中を抜けて集落へと辿り着き、少年を産み落とした。
母はその子を自分の子とせず、老婆に手渡し、育てるよう懇願した。集落は羌胡(キョウコ)との諍(イサカ)いが原因で当時からかなり閉鎖的であり、部外者には優しくなかったらしい。
自分が追い出されても少年だけは集落で暮らせるようにと母は願った。
老婆は菻の仲間だった黒(コク)という男の家族で、顔も名も知らない菻の心意気をきちんと汲んでくれたのだという。
少年にとって、十年間の孤独がはじまった。
母は村の若者と婚姻の契りを結び、もはや集落の一員として認められた。
だが、少年を今さら引き取るとは言いだすことはできず、見守る日々を送るだけだった。
少年から昔の話をして欲しいと言われた時、母はどんな思いだったのだろう。
母と名乗り出ることが良いことなのかどうかも、よくわかっていなかったに違いない。
ただ、父がどういう人だったのかだけは、知らせたくなったのかもしれない。
父に語りかけている母は、誇らしげに泣いていた。
「笑って。泣いている顔ばかりじゃなくて、笑った顔を母に見せて。ほら、ね」
突然、菻はそんなことを言う。
腕のなかの赤ちゃんは穏やかに眠っていた。
急に笑えと言われても、難しかった。
先ほどまで泣きじゃくっていたのだ。
ぎこちなく唇を動かして、頬を引き上げ、眉を動かす。
それで、なんとか笑顔をつくってみようとがんばった。
すると、菻は小さな笑い声をあげて、少年の方を指す。
「その笑顔。私は、好きよ」
少年は、眉を下げて、困ったように笑っていた。
『腥風吹きぬ秋』終わり
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