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戸口が乱暴に開かれる。
絵筆を持ったまま腰を浮かせた水色の髪の青年は、まばゆい昼の光に目をすがめた。
陽を背にして立つ漆黒の人影。傲慢な声がすぐに寄越される。
「ミシェールだな?」
問いかけの形は取っていても、断定的な響き。気圧されそうになったが、ミシェールはかろうじて踏みとどまった。
「あの……どなたでしょうか。こちらには、値を付けた絵は一枚もありませんが」
「お前の描いた風景や静物には微塵の興味もない」
不躾な来訪者は、大きな歩幅で小屋の中へ踏み込んでくる。繊細な美貌に困惑を浮かべ、ミシェールは立ちすくんだ。
光に阻まれずに見えるようになったその姿は、彼とさほど歳の違わない黒い髪の青年だった。不遜な雰囲気を纏い、顔立ちは冷たいほど整っている。喪に服してでもいるように、細身の身体を覆う丈の長い上着もズボンもすべて黒だ。
「ぁ……っ!」
息が止まる。
伸びてきた手に、乱暴に顎と喉元を捕まれて。
「本人は知らぬが、あの絵の女と確かによく似ているな。目の色も同じ紫だ」
何を。
誰と、似ているというのだ。
「来い」
首を解放されると同時に、腕を捕まれ引きずられる。よろめいて膝をついた彼に、黒衣の青年はいらだたしげに舌打ちした。
「突然何を……」
二十二年生きてきて、こんな仕打ちをされたのは初めてだ。痛む喉を押さえて相手を見上げ、彼は大きく目を見開いた。
背筋が凍る。
そこにあった漆黒の双玉。
背筋に氷を押し当てられたように、ぞっとしてミシェールは口を噤む。
「立て」
戦き、萎縮した彼を、青年は引きずるようにして外へ連れ出した。森を背にした小屋の反対側は小道になっており、こんな田舎には不釣り合いなほど豪奢な馬車がどこか緊張を孕んだ様子で待っていた。
突き飛ばされて倒れ込んだのは、絵の具で汚れた手や服を触れさせるのが躊躇われるほど柔らかくなめらかなビロード張りの座席で、ミシェールはあわてて身を起こした。向かいに青年が足を組んで座っており、短く「出せ」と御者へ命じる。
声を上げて人を呼ぼうにも、この辺りに人家はまばらだ。青年が腰に下げている細い剣も、ミシェールを躊躇わせるのに十分な威圧感を持っている。
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