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兄が運転する車に乗るのは今夜が初めてだった。終始会話は絶無で、流れる景色を無心で眺め続けた。
三十分程車を走らせた兄は、目的地に着き停車する。
「よし、着いた」
兄は嬉しそうな表情で一度大きく伸びをした。車のロックをガチャリと解錠し、ドアを開けて外へ出る。
「降りて」との兄のジェスチャーに、あたしはすぐには従う事ができなかった。この状況に心が揺れてシートベルトを外せない。
「どうしたんだよ? 早く降りて」
兄の声が昔のお兄ちゃんの様に聞こえたのは、この場所のせいだろうか?
あたしは車から降りながら、さっきの幻聴に心を震わせた。
見渡す限りに桜が並立し、辺りは一面ピンクに染まる。街灯に照らされた夜桜は、妖艶に輝きながら花弁を落とす。枝は力強く空へ伸び、星も月までも隠蔽している。
この場所は幼年に兄と毎日通った帰り道だ。手を繋ぎ二人並んで歩いたあの道だ。
春も夏も、秋も冬も。いつでも笑顔で笑い合えたあの頃。兄の喜びがあたしの喜びで、あたしの喜びが兄の喜びだったあの頃。
濃紺の空から降る花弁を見つめながら、確かに在った、幸せな日々をはっきりと感じた。
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