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「昔よく歩いたな」
夜桜に見入りながら兄はポツリと言った。懐かしむ表情で、あたしに目を向ける。
「そうだね。あの頃は楽しかった」
緩い風が桜の葉を揺らし、サラサラと音を立てて共鳴し合う。心地の好い景観に当時が蘇ってくる。
「……ごめんな」
その一言だけで、もう充分だった。もうそれ以上は言葉にして欲しくない。
「苦しんでるお前を、どうする事もできなかった」
兄の瞳から涙が落ちた。
「父さんと母さんの仲は悪くなる一方で、お前は段々荒れていく。俺はそんな状況をどう対処していいか分からなかった。逃げる事しかできなかった」
真赤に色づく兄の目に、震える兄の唇に、あたしの心が砕けた。
「もういいよ! 止めてよ! そんな事は分かってた! お兄ちゃんが一番苦しんでるって、あたしはずっと前から分……かって……よ……」
嗚咽で言葉にならなかった。
「……ごめんな。俺は弱いから、お前を助けてあげられなかった。お前の居場所を作ってあげられなかった」
時が、止まる。視界がぼやけて前が見えない。兄が消えてしまう。
「お前を独りにさせてしまう事が、心残りで眠れなかった。本当に俺は行っていいのか、俺の我が儘で家族が壊れるんじゃないか。俺だけ楽になっていいのか…………何が正しいのか分からない」
(置いて行かないで!!!)
取り乱し泣き叫びたい衝動を必死に喉で押さえる。号泣する兄の姿は今のあたしそのものだった。
あたしは兄の目と真っ直ぐに向き合い、強く言葉を落とした。
「あたしはもう大丈夫だよ。お兄ちゃんがいなくても大丈夫。お兄ちゃんは自分の道を進んでよ」
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