いち

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家族だと思っていた、巽もそうだ。兎に角迫力があるとしか言いようが無い。意思の強さがはっきりでている、キリッとした眉に、切れ長の瞳。日本人離れした高い鼻梁に、引き締まった大きな口元。町を歩けば振り向かない人なんていない。 40代の半ばを過ぎているはずなのに、微塵もそんな様子は伺えなくて三十代前半といわれれば素直に頷いてしまうと思う。 これは、お父さんにもいえるけれど。二人で歩けばタイプが違うのに色気を振りまきまくっている共通点からか、未だにナンパされまくっている。 おかげで、お母さんの存在感が薄いとしかいいようがない。母は本当に普通の平凡な主婦の鏡みたいな人だ。 常にうちの中を整えて、自分の事は二の次。めったに外出もしない。買い物やレジャーなんかはいつもお父さんと巽が連れて行ってくれて、お母さんが一緒に来る事は少なかった。 あんなんで人生なにが楽しいのか理解に苦しむ。 お母さんみたいには死んでもなりたくはなかった。 だいたい、お父さんもお母さんの何処がよくて結婚したのかよくわからない。 巽だってそうだ。お母さんが好きな事は確かだと思うけれど、何故?と思い理由が思いつかない。 だけど、幼心にお母さんはお父さんと巽の特別なんだってことは分かっていた。 お母さんの名前は晶なのに、お父さんも巽も「きら」って呼ぶんだ。 私が巽のこと呼び捨てにしても怒らないのに、お母さんのことを「きら」と呼ぶとやんわりとたしなめられた。 お父さんと巽以外の人は名前で呼んでいるから、多分「きら」は特別な呼び名なんだ。それはいつでも私に疎外感をもたらした。
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