place1::ヲタ芸隊長と編集長

17/20
前へ
/146ページ
次へ
 洋一は、こっちに「帰郷」する時、いつも勝の家に泊めてもらっている。正確には勝の家ではなく、勝の母方の祖母の家だ。中学生の頃まで勝が住んでいた家は、未だ2割程度しか片付いていない震災がれきの中か、海の底か、どっちかに沈んでいる。だから勝は未だに放射能を盾に処理を拒む自治体をニュースで見るたび、「オレは○○市には一生行かねー」と、苦笑しながら呟いていたりする。お前の家の壁は放射能だ。お前の使っていた机は放射能だ。お前の思い出の写真は放射能だ。お前の着ていた洋服は放射能だ。お前の使った箸は放射能だ。お前が触ったもの、生活に使ったもの、すべてが放射能だ放射能だ放射能だ放射能だ放射能だ放射能だ放射能だ。マスコミが大挙して押し寄せてそう大合唱されているようなやりきれなさは、洋一にもよく理解できる。被災地から転校してきた生徒をいじめるのと、本質は同じような気がする。もちろん、目に見えぬ毒を怖がるのも理解できる。だから悔しいとか、怒っている、ではない。ただやるせない。それだけだ。  がれきという呼び方は、当事者にとってはじくじく痛む辛い呼び方だ。ただ我慢強さだけは定評がある片田舎の被災者は、声をあげることはすまいと痛みに耐えている。まあ、代わりに県知事辺りが、口当たりの優しい言葉を選びはすれど、ムカついてんですヨと何度も表明はしてくれているのだけれど。今や大人しい県民たちの苦情の代弁がメインみたいになってしまっている。毒舌家にもなろうというものだ。表面は穏やかなのだけれど。  母親は震災より前に病死していて、勝は父子家庭で育っていた。勝の父は警察官で、当日も仕事中だった。仕事中だったから無事だった、とも言える。自宅よりも勤務地の方が内陸側だったから。津波の一報に同僚たちが「とにかく家族の安否を確認してこい」と送り出してくれたお陰で、夕方には、避難所で茫然としていた息子と再会していた。その足で、交通機関も灯りもない街を何時間も歩いて、勝の父にとっては義理の母親である、内陸側に住む勝の祖母に頭を下げて息子を預け、また署に戻っていった。  彼は現場ではなく事務方がメインで、それから毎日、増え続ける死者の数をひたすら積み上げる賽の河原のような仕事を続けていた。
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加