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嫌な予感は当たった。
ピアノに手を置いたまではさまになっていた。だけど、そこからは、かなりひどいかった。典人せんぱいは、幼稚園くらいの子がめちゃくちゃに弾いたような音を出した。でも、園児の方がまだマシだったかもしれない。
耳が壊れてしまうかと思った。
「これで、どうだ!」典人せんぱいが意気揚々と立ち上がって言った。
そんなに自信満々に言われても困るっていうのに。
バンと、奥の楽器室の扉があいた。
「誰よ!? まちがえて典人を連れてきたのは!」
一人だけ楽器室にこもって(サボって)いた宇川せんぱいが迷惑そうに言った。
連れてきた一年生たちは困惑していた。
ピアノの一番近くにいた子なんて、目に涙を浮かべている。
私も気持ちだけは痛いほど分かった。
「けっ。間違える方がわりーんだよ」
典人せんぱいはそう言って荒々しくドアを閉めると音楽室を出て行った。
それを見届けた後、私は宇川せんぱいに話しかけた。
「…あの~宇川せんぱい」
宇川せんぱいはこの場にいる中で一番事情に詳しそうだった。
「典人せんぱいっていつもあんな感じなんですか?」
「あ~あいつね……」
この言い方からして何かあるらしいことが分かった。
宇川せんぱいは口からチュッパチャップスをはずした。
「典人はね、音楽が嫌いなんだよ。顔も声も同じなのに、音楽の才能がここまで違うんだからねー。いっそ、笑ってあげたほうが救われるんじゃない?」
瀬能直人と瀬能典人。
ふたりとも瀬能せんぱい。顔も声も同じ。
だけど中身はまったく違う。
「ま、ある意味、二人とも人を泣かす天才であることは間違いないね」
その後、やっと本物の瀬能せんぱいが来て、最初から通しで練習しようという時に宇川せんぱいが言った。
私は歌いながら、考え事をしていた。
ピアノの下手さで泣かす典人せんぱいと、うますぎて感動させる直人さん。
たしかに宇川せんぱいの言うとおり、二人とも天才的だ。
面白すぎるほどに。
次の日。昼休みに幸運な出会いがあった。
それは、もちろん瀬能せんぱいに会ったことだ。
「昨日大変だったんですよ~。一年生が間違えて典人せんぱいを連れてきちゃって」
私は笑って言ったのだけど、せんぱいには笑い事じゃなかったらしい。
急に顔に手を当てて考え込んだ顔になった。
「ど、どうしたんですか…?」私は心配になって聞いた。
「いや、ね…」
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