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合唱部の面々も騒然として、典人せんぱいの指がピアノの鍵盤を乱暴に叩いているのを見ていた。
参加している他の生徒たちから悲鳴が上がってる。
もう、めちゃくちゃだ。
なんだか涙が出てきた。ここ、ぜんぜん感動する場面じゃないのに。
みんなの失望感を気にもせずに典人せんぱいはふいに顔を上げて鍵盤を打つのを止めた。そして、立ちあがって舞台を飛び降りた。
新入生たちはシーンと静まり返っている。
もうだめだ。
せっかくがんばって練習してきたのに。
すると、舞台を降りて行ったはずの典人せんぱいが戻ってきた。
……あれ?
よく見たら違う。
あれは、直人せんぱいだ。今度こそ間違いじゃない。
その証拠に部員全体が歓声を上げている。
直人せんぱいは見ている誰もを安心させる表情でみんなに手を上げて笑いかけた。
その顔にはばんそうこうが二つくっついてたけど、その笑顔はふだんと変わりはなかった。
本当によかった。
泣きそうになったけれど、ぐっとこらえた。泣いたら歌えなくなってしまうから。
他の部員たちも同じ思いだったらしい。ずずっと鼻をすする音はしても、目が赤くても、誰も泣いていなかった。
曲が始まった。まるで、当たり前のように直人せんぱいはピアノを演奏していた。
前奏を聞いていると、出口付近でこちらを見ている典人せんぱいの姿が目に映った。気のせいだろうか。得意そうに笑っている。
(ああ、そうか)
そのとき、私にはわかった。
典人せんぱいは、直人さんが来るって信じてたんだって。
さっきのは直人さんが来るまで、時間稼ぎだったんだ。
そして、演奏が終わった後の拍手は、とてもとても大きかった。
歓迎会が終わると、私は典人せんぱいを探した。なかなか見つからないと思ったら、体育館を出てすぐの階段であぐらをかいて漫画を読んでいた。
私は声をかけた。
「さっきの、カッコよかったですよ」
典人せんぱいは私を見て、また漫画に目をもどした。
「本番でめちゃくちゃに弾くなんて、よくあんな度胸ありますよねー」
「……あれでも、めっさ緊張してたんだぞ」
典人せんぱいが漫画から目をはなさずに言った。
「顔に出ないんですねー」笑いながらも、なんだか感心してしまう。
私にはあんなことできない。
笑うのをやめて私は典人せんぱいを見た。
「急に黙ってどうしたんだよ」
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