街灯のオレンジは飴玉みたいで

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 私は東京の美術大学に入学し、埼玉の田舎から上京して約五年間、一人で生活をしてきた。学校とは想像していたような面白さは無く、惰性で三年間は過ごしていたような気がする。卒業まであと一年にもかかわらず私は大学を退学していた。しかしこの時は毎日が地獄のようで、後先など考えることは不可能だった。惰性で過ごしてきたが故に勢いが切れてしまったら自分では動けなくなっていた。  学校に気の合う仲間はほとんどいなく、常に独りでいた気がする。私はみんなの様に活発なタイプではなかったし、彼らの日常会話がとても忙しく耳障りだった。きっと彼らから見た私は静かで暗く、何とも浮いていた事だろう。孤独感というものは感じなかったが、平然でいられるほど私も強くはなかった。独りでいるというのは嘲笑の的にされているような気分になる時がある。教室に入るのでさえ少し気分が沈むのだ。そんな憂鬱がだんだんと膨れ上がってきて学校に行くのをさぼり始めていた。気付いたらその腫れ物は、切除不可能な程に爛れ、膿のように溶け出しては私の内側をドロドロと流れ出した。そして私はそこから居なくなる事にした。  私にも二人ほど、気を許せる友達がいた。しかし学科が違うために休み時間などでしか会えなかったため、授業が終わると騒がしくなった教室を一人出ていく事が多かった。彼らとは好きな映画や文学から漫画やオカルト、お笑いまで語り合った。皆それぞれ頑なに自分の意見を曲げない。しかし人を否定するような態度は絶対に取らなかった。彼らとの空間が殺伐とした学校生活で唯一居心地が良かった――――。  そして私は東京からは離れられずにそのままフリーターとなった。大学時代の同級生は七、八割方就職したらしい。就職難と世間では騒がれてはいたものの、それなりに就職出来ていた。私は就職に失敗しているわけではなく就職する意味が解らないままなのだ。卒業間近の就職活動の忙しそうな周りの姿を嫌でも見させられた事にはさすがに焦らされたが、何となく私には企業で勤めるという事への情熱が沸かないのだ。大学を辞めて以来、何となく私は社会とは無縁の場所へ逃げ込んで来たように思える。
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