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空は快晴、風は良好。ああ、いい天気。
外に出た僕は一度、無意識のうちに大きく息を吸っていた。変わらない、暖かな春の味がした。
腰の曲がった身体を支える右手の杖がそっと地面を叩く。左手の小さな風呂敷袋がゆっくりと揺れた。
大型トラックが真横を通り過ぎる。舗装された道路が熱を帯びる。
しばらく歩いていると交差点に着いた。信号なんてないし車もあまり通らない。
そこで、1本の大きな桜の樹を見た。
「変わらないなぁ…」
たくさんのものが変わってしまったこの町で、思わず声に出してしまうほどその樹は変わらずそこにあった。
たったったったっ。
ふと、後ろから足音が聞こえる。振り返ると肩で息をする桜がいた。
「ハァハァ…。もうっ!一人で出歩くなって何回言ったらわかるのっ?じぃちゃん、自分の身体のことちゃんとわかってる?」
いろいろ小言のうるさい孫の姿が、とても愛くるしく思える。
「はいはい、わかっとるわかっとる。けど、どうしても行きたい所があるんやが…。」
桜は、はぁ、なんて大袈裟に溜め息をついてみせたりする。
「ほら、全然わかってない。それって私がついて行っても大丈夫な所?」
そう言って僕の左手に右手を伸ばす。持つよ?と、茶色い真っ直ぐの瞳が言っていた。
「すまんね。でも、そんなにおもしろい所じゃないよ?」
それじゃぁお願いします、と風呂敷袋を桜に渡す。
「ダメって言ったら一人で行くんでしょ?それならついて行った方がまだましよ。」
相変わらずその目は真っ直ぐのまま。僕は舞い散る桃色の花びらに左手を伸ばして目を閉じた。
「おもしろくないんならそこに着くまでにおもしろい話でも聞かせてよ。そうね、じぃちゃんが若い時の話がいい。」
空は快晴、風は良好。桜の樹から始まる道を、僕はしっかりと踏み締めていた。
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