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“俺ね、笑夏ちゃんの許嫁なの”
頭のなかで、あの男が嘲笑い、僕を見下してくる。
あれから三日経っても尚、あのセリフが反芻し、心が苦しくなる。
「……クソッ! 僕は何もしていないのに、勝ったように見下しやがって!」
このところ、こんな怒りばかりが僕を支配してくる。抑えきれないんだ。
「……はぁ。なにやっているんだ、僕は……」
そして自分に呆れ、ベッドに身を投げる。
僕は彼女を祝福するべきなんだ。
将来を約束した男が、彼女の前に戻ってきたのだから。
それは何一つおかしくないんだ。
……なのに。
なのに、僕はずっと怒ってばかり。
何がしたいんだ? どうして僕は、こうもアイツに怒っているんだ?
……どうしてこんなに、胸が痛いんだ?
「……わからない。わからない……わからない……!」
もどかしい。ツラい。
素直に祝ってあげられない。心のどこかで、事実を否定している。
そんな自分がいることが……もどかしい。
「……外、行こうかな」
そうだ、することもなくボーッとしているから、余計に頭が働いてアイツの言葉を思い出させるんだ。
だったら、気分を変えるためにも動いた方がいい。
ふと見た空は清々しい快晴。
涼風の入り込む窓からは、五月蝿いセミたちの鳴き声も入り込んでくる。
ギンギンと鳴るそれらは、心なしか、僕を呼んでいるようにも聞こえる。
……呼ばれてみるのも、ひとつの手段か。
僕はからだを起こし、ケータイと財布を備えて、家を出た。
中と外を隔てる、たった一枚の板を開くだけで、熱気とまぶしい日差しが僕を包み込む。
そういえば今日は、真夏日と言われていたな。
隣の、彼女の家をできるだけ見ないようにして、僕は歩き出した。
少し歩くだけで、さっそく汗がにじんでくる。
でも、ときおり吹く涼しい風がいっそう心地よく感じられ、気持ちがいい。
騒がしいセミたちはさらに五月蝿く、照りつける日差しはさらに路面を焼く。
無心で、目的も無しに歩いていく僕は、周りにとってはどのように映っているのか。
あるいはただの通行人A、あるいは気にもされないただの風景のひとつ。真っ先に思い付くのはそれら。
赤の他人とまるで接しようとしない臆病な日本人。考え方などワンパターン……か。
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