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時に(寛文元)1661年、この年、藩政は乱れに乱れていた。下役人を監察するべき上役人自ら、不正に働いていた。上が上なら下も下で、城下は下役人の無銭飲食と、それに伴う横暴が公然と罷り通っていた。又役人同士の争いも絶えず、隙あれば、その職から追い落とし、自分がのし上がる等さながら下剋上の様であった。城下から離れていた郡部役人の横暴は、城下のそれをさらに上回り、凶暴と言うに等しかった。年貢の取り立て時期は、地獄絵図を見ている様であった。そんな荒れに荒れた年の六月、彼は産声をあげ生を受けたのである。
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