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「時給五千円か」
学生課の入り口を入ってすぐの棚上に広げたファイルをめくる手を止め、呟いた。
気になる求人を見つけた僕は、思わず前屈みに前傾する背筋を、一歩引いてあそばせた片足で支えてバランスをとる。
カウンセリング兼家庭教師。
大学二年の春で、医学生の僕の専攻は心理学だった。
事務員に詳細を尋ねると不登校の中学三年生ということだった。受験生だ。
(不登校か。男でも女でも手がかかりそうだな)
他の学科の学生ならまず敬遠する面倒臭さだ。
「この募集ね、なかなか難しそうだから人が来ないのよ。あなた専攻は?」
「心理学です」
「まあ、よかった。やっぱり専門知識がないと普通の学生じゃ敷居が高いっていうか」
事務員のおばちゃんはここぞとばかり久々の獲物をしとめた食虫植物のように僕の自尊心を溶かしていく。
「カウンセリングしながら家庭教師なんて大したもんよ。あなた若いけどすでに先生の顔してるもん」
先生か。おだてられたわけじゃないけどいい経験になるかもしれない。
「精神科のお医者さんになるなら勉強になると思うけどね。じゃっ、この紙に名前と生徒番号書いて。良かったわね、ぴったりのバイトが見つかって」
手続きモードに入っている事に気づいたときはもう遅く、おばちゃんは有無を言わせぬ親しげ顔でボールペンの芯を押し出しながら、用紙と一緒に窓口越にこちらへ突き出した。
まぁいいか。本当に勉強になりそうだし。
それに女だったらちょっとロマンチックだしな。
もちろん手は出さないよ。子供に興味ありません。本当だぞ。
誰に言い訳してるんだか知らないが僕は募集要項にもう一度目を通し、ボックス棚のスタンドにファイルを戻して渡されたボールペンを手に取った。
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