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母親が退室し、二人になると、僕は呼びかけた。
「とりあえず座っていいかな。僕はどこに座ればいい?」
答えはわかっていた。それでも指摘しないと状況は変わらない。
「帰れ」
消え入りそうな小さな声。
「どうして?勉強は苦手?なら今日は自己紹介を兼ねて一緒にしゃべろうか」
「しゃべる事なんてない。座りたいなら出てって。部屋の前で時間を潰せばいいじゃない」
「わかった」
いったん部屋を出て、放り出された椅子を運び込もうとすると、ドアが勢いよく閉まった。
ドアノブを回しても開かない。中で封鎖されたのだ。
「開けてくれないと仕事にならないよ」
「仕事なんて自己満足できればそれでいい」
早くも雇われ主に解雇されたか。苦笑がこみ上げる。
「それもそうか。じゃあここで話をしよう。君のことももっと知りたい。
僕は守口捧。二十歳。〇〇大学で精神科医になる勉強をしている。
市内にある実家暮らし。猫を三匹飼っている」
ドアを隔ててゆっくりと語りかける。
「君は動物好き?僕はいつも腹話術を使って猫同士で会話させるんだ。
寂しい人だと思わないでよ。家族にはアホだってからかわれるけど楽しいよ」
「…………」
「一匹づつキャラクターが違ってて、スタイリッシュな黒猫は赤名リカ風の天然美人。やんちゃざかりの三毛猫は派手なタトゥーのチンピラで、一番年長の白猫は小姑なんだ。
『これどこの?』って黒いつやつやの毛皮を撫でて僕が誉めると美人は『プラダ』ってボケる。
すると小姑が『虫がいーーぱいおるで』って方言丸出しでツッコむんだ。
あ、その美人家を空けてた事があって、戻って来た時にダニが発生してて大変だったんだ。
小姑はその事を言ってるんだな。
意味わかんないか?」
自虐的すぎたかな。さすがに空しくなってきた。
ところが迷は笑いもせず、ドン引きもしなかった。
「そんな小説あったね。あたし好きだよ、そういう遊び」
ゴトゴトと音がして、ゆっくりとドアが薄く開き、迷と目が合う。
くっきりとした二重から生え揃う長いまつげが僕を遮る。
「東京ラブストーリーってそんな話だっけ?」
迷の冗談に思わず笑ってしまった。
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