2つのサヨウナラ

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少し長めのシャワーを終えて、皺の無いスーツを纏った灰色の髪から、大きな水滴が落ちる 「……環様」 「おう、行くぞ」 「髪が……」 「その内乾く」 車内で仮眠を取られると思い、出していた私服には一切手を付けず、身に纏ったいつもの姿 しかしそれにいつも合わせている帽子やマフラーは何故か無い 「眠られる時、スーツでは苦しくありませんか」 「慣れた」 「これから車での移動や向こうでの宿泊が続きます、せめて楽な服を何着かお持ちください」 「スーツの代えだけで行く」 何時にも増して気紛れなその返答の真意は掴めない 「……はあ」 「ああ、だが帽子は持って行くかな」 結局スーツの着替えだけを何着か持って玄関から出る間際、思い出したようにそう言った主人がまた奥へと戻り、ゆらりとした足取りで戻ってきた 「……環様……」 「おうどうだ、似合うか?」 何時もと同じように被られたその帽子は、何時もとは全く違うモノで、俺は反射的に顔をしかめて不快感を露にした 「……お言葉ですが、そのような安物は環様には釣り合いません、今すぐお取り下さい」 「はははっ、まあそう言うなって……子猫ちゃんからすれば奮発した方だろうぜ?」 「しかし、とても環様が被るような代物では……」 「俺が被るからこそ、どんな安物でも高価に見えるんだ」 そう悪戯にウインクをする瞳に、思わず盛大なため息をついて、諦め半分で視線を反らした 「……暗いのでお気をつけて」 「おう」 部屋の施錠を済ませ、夏の空気を肺に満たしながらエレベーターで地上へ下り、建物の前に横付けさせた車の後部座席へとゆっくりと導いて 「他に後ろへ入れるお荷物は」 「おう、コレ頼むわ」 ご自身で用意されていたらしい大きく、少し重い鞄とスーツの着替えをトランクへと押し込んだ 「矢田さん、車を返却してもらう期限ですが」 「一週間だろう、氷室から聞いてる、大丈夫だ」 「お願いします」 もう聞き飽きた説明に早口気味に言葉を放ち、ようやく完全に車を明け渡された 「…………」 暗闇の中、エンジンをふかす音が低く響いて 「環様、車を出します」 「ああ」 アクセルを踏めば当たり前のように動き出した車体 「……」 「環様、冷房が」 「消せ、窓を開ける」 対抗車線からやってきた大型バイクとすれ違う 「……外の空気が吸いてえ」 あなたの髪が強く吹き抜ける風に揺れた
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