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「また惣太の事を考えてるの?」
濡れ縁に座り、ぼうっとしていた静尾は後ろから声を掛けられ、陽に透かすようにして眺めていた白い小石を慌てて錦の小袋にしまった。
「いえ、別に……そのような事はありませぬ」
声を掛けて来た綾子に向いて座り直し、笑顔を作って返事をした。
「うそ!幼い時から静尾はその石を見てる時は惣太の話ばかり」
キラキラとした眼を向けて言い切る綾子は、静尾より二つより年長にも関わらず幼く見える。
静尾は微かな笑みを浮かべて、その決め付けをかわし、
「それより姫さま、なぜ此処へ?今日は確か…古今集ご教授の日では?」
「あらまぁ、よく覚えてるのねぇ」
と言って、育ちの良さが零れるようなゆったりとした笑顔を見せた。
綾子の父は藤原能保。
能保の母は藤原公能の娘で、近衛皇后の多子、後白河中宮の斤子はその姉妹――つまり能保の叔母達である。
また崇徳、後白河の母、待賢門院璋子は公能の叔母であり、能保の祖父公能と後白河は従兄弟の関係である。
能保は35歳の現在、正五位下・大宮権亮。
特筆すべきものもない平凡な肩書きだが、崇徳、後白河とは再従兄弟である事など、血の尊貴においては天皇一族に近い”一流”と言える。
綾子の母は正五位下・左馬頭、源義朝を父に、熱田大宮司、藤原季範の娘を母に生まれている。
鎌倉幕府を開いた源頼朝とは両親を同じくする兄妹だ。
源氏一族が平治の乱で大敗を喫した折、長兄・頼朝は伊豆へ、次兄・希義は土佐へ流刑となり、当時五歳だった姫は母の里屋敷で乳母に傅かれて養育され、屋敷が六条坊門烏丸にあった事から”坊門の姫”と呼ばれた。
”坊門の姫”の乳母は源氏累代の家人、後藤実基の妻である。
この実基の養子で娘婿となっていたのが基清………あの日、磯の岩場を涼やかに歩いて来た丹後網野庄十七ヶ村の領主なのだ。
静尾は京へ連れて来られた後、藤原能保と”坊門の姫”の娘の女嬬として預けられた。
一の姫、綾子とは二つ違いだが特に気が合い、使用人と主の関係以上の親交があった。
「今日はあちらのご都合が悪うて、古今集のご講義はお休みになったの。そやから久し振りに静尾に会いに来たんです」
とニコニコしながら、おっとりと言う。
「こないだの神泉苑での奉納舞で法皇さんが『まさに天女の舞や』てお褒めになられたそうやねえ」
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