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【補足付記】
※1 土佐の伯父様
源義朝と熱田大宮司藤原季範娘の次男で名は希義。
仁平二年(1152)生まれ。
源頼朝と両親を同じくし、妹に“坊門の姫”がある。
平治の乱後、頼朝と同年、永暦元年三月に土佐へ流される。
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※2 卿君義円
源義朝と九条院雑仕との間に生まれた三人兄弟の次男で久寿二年(1155)生まれ。
幼名を乙若と言う。
平治の乱後は一身阿闍梨となった八条宮(後白河院第五皇子、円恵法親王)に坊官として祗候した。
頼朝挙兵に参加し、その後、叔父の行家に従って墨俣川へ出陣。
治承五年(1181)三月十日、夜襲を察知されて先制攻撃を受け、讃岐守左衛門尉高橋盛綱によって討ち取られた。
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※3 相婿
妻同士が姉妹の関係。
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※4 全成
源義朝と九条院雑仕との間に生まれた三人兄弟の長兄で仁平三年(1153)生まれ。
幼名を今若と言う。
平治の乱後に醍醐寺に預けられ、“醍醐禅師全成”と称されるが、気性烈しく“悪禅師”との別称を持つ。
治承四年(1180)十月に鷺沼の頼朝と対面を果している。
妻は北條時政娘で、源頼朝正室・政子の妹の“阿波局”。
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