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――又養和のころとか、
久しくなりておぼえず。
二年が間、世中飢渇して、
あさましき事侍りき…
…築地のつら、
道のほとりに
飢え死ぬるもののたぐひ、
数も不知。
取り捨つるわざも知らねば、
くさき香世界に充ち満ちて、
変りゆくかたち、ありさま、
目もあてられぬこと多かり。
いはむや、河原などには
馬車のゆきかふ道だになし――
鴨長明が『方丈記』に”養和のころ”として記す惨憺たる洛中の様子は、まさに富士川の戦いの翌年、平清盛が高熱に浮されながら死に、墨俣川で義円が討たれた養和元年(1181)から頼家が生まれた寿永元年(1182)頃の、後世”治承・寿永の内乱”と言われる源平争乱真っ只中の頃の有様である。
寿永元年(1182)八月十二日に頼朝の妻・政子は若君を出産した。
北陸道辺りでは木曾義仲が小競り合いを繰り返しているが、自分も早急に参加しなければならないような事態でもなく、取り敢えず自分の周辺は一定の水準で安定している、と頼朝はある意味の満足を感じていた。
全成、義経をはじめ比企四郎や小山小四郎らと、近々営中に入る若君と政子の受け入れ次第などの話題で集まっていたところへ、和田義盛が珍しく顔色を変えて部屋に飛び込むと、頼朝に何やら耳打ちをした。
「何っ!?それは誠かっ!?」
顔色を変え、一言叫ぶように言い、義盛の顔を凝視した。
目を見開き、深く頷く義盛。
……これはただ事ではないな
その様子を見ていた義経は心の中で呟き、チラと隣に座る兄の全成を見た。
全成も頼朝の様子から、尋常ではない異変を告げる情報である事を察知しているようだ。
横目で窺う義経と目が合うと無言で頷いた。
「……解った。早急に子細確かめるように」
短い言葉に深く、冷たい響きが込められている。
義盛は全成や義経、その他には目もくれず、足早に部屋を出て行った。
その足音が遠ざかると、頼朝が気を取り直すように
「さ、どこまで話したかな」
と言った。
たった今、目の前でやり取りされた異常な雰囲気を無視出来ず、皆は黙ったままである。
頼朝は一同を見回した。
「兄上……何か良からぬ知らせでも?」
年長の全成が皆を代表するように口を開いた。
頼朝はふふんと鼻で笑うような表情で、
「希義が討たれた」
と応えた。
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