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「ちょっと待っててくれ」
言い置いて、返事を待たずに蛟は立ち上がり、社の奥殿に入る。
暫しの後に戻って来た蛟は、所在無げに待っていたイッポンダタラに向けて、
「これを」
小さな守り袋を手渡した。
「いや、蛟、それは」
以前に守りとして鱗を貰った時とそれは同じ状況だった。
だが、自分の勝手な思いだけで前に貰ったそれを手放したイッポンダタラにとって、再びの彼の厚意は受けられるものではない。
慌てて謝絶したが、しかし蛟は何処かすっきりとした表情で、いいから、と押し切った。
「前と同じものというわけではないから」
「…………」
それでは何なのかと。問える筈もない。
イッポンダタラが蛟のことだけを思ってした行動。だがそれは先にも述べたように、イッポンダタラだけの感情であり感傷でもあった。
一方的ですらあるそれに対して、蛟から絶縁を言い渡されても仕方がないとまで考えていた。
なのに蛟はこうして、新たな守りを――それは実体があるかないかではなく、蛟がイッポンダタラを思ってくれる気持ちそのものだ――くれる。
自然に、頭が下がった。
「……有難う」
「いや」
すまないと言う謝罪ではなく感謝の言葉を返せば、簡単な言葉が返る。
けれど其処に潜む暖かな心の存在を、イッポンダタラは決して見逃したりはしなかった。
また来る、と言い置いて、イッポンダタラは来た道を戻って行く。
来るのも戻るのも大変な山道だと言うのに、彼はそれを苦でもないとばかりに往復する。
木々に紛れて背が見えなくなるまで見送ってから、蛟は社内に引き返した。
イッポンダタラが来る前にも見ていた水場に行けば、……それはやはり美しく澄んでいる。
ふ、と零れた微笑が水面に映る。
そしてその微笑の下の喉元、衣服で隠れている其処に、蛟はそっと触れた。
だが其処には、……何もない。
最前まであったものがなくなっていた。
イッポンダタラに渡した守り袋の中に、それは入っている。
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