椿のかげろう

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 散歩を断ろうと思い、素足のまま玄関から顔を出しおばあちゃんを探した。 「あれ?」  きっと玄関先で待っていると思ったのに竹ほうきがあるだけだ。 「おばーちゃん?」  少しだけ庭先まで爪先立ちで歩いてみたが縁側にも姿はなく私は踵をおろした。左足のふくらはぎが痒くて、右足でかいたら砂がふくらはぎに付いてしまった。 「真亜子、こっちだよ」  姿はみえないが生い茂る緑の中からおばあちゃんの声が聞こえた。 「どこー?」  ふくらはぎに付いた砂をはらい、庭の中に続いている平べったい石の上を歩いていくと少し薄暗い場所におばあちゃんは立っていた。 「早かったね。香苗さんに何頼まれたんだい?」 「えっと」  おばさんから渡されたメモ用紙をポケットから取り出し、読み上げる。 「だいこん、ユウガオ、お豆腐、あと……そうめん」  最後に書かれた四文字に思わず声が小さくなった。 「お前さんは本当にそうめんが嫌いだね」 「うん……えっなんで知ってるの?」 「みてればわるさ。お前さんは実日子と同じで、思ってることが顔と行動に出やすいからね」 「でやすくないし、お母さんと同じゃない」 「そうやって唇を尖らせているところもね」  私はあわてて唇を隠し、おばあちゃんを睨むと、おぉこわいこわいと笑っていた。 「む……というか散歩行かないの?」 「ああ、行くさ。ただこいつに手を合わせてからだね」 「こいつ?」  おばあちゃんの目の先には、深い緑色の葉っぱがなった木が植わっていた。つやつやと鈍い光沢をしたぎざぎざの葉が生い茂っている。 「これなんの植物なの?」 「藪椿さ」 「ふーん」 「さぁ手を合わせて」  おばあちゃんは静かに手のひらを合わせて目を瞑った。それをみて私も素直に手を合わせる。 「ねぇおばあちゃん……」  しばらくして、ゆっくり目を開ければ、あの穴の向こうで見えていた風景がそこにはあった。お線香の埃っぽい匂いが、ハッカの鋭い匂いが緑の中に溶けてゆく。気にも留めなかった蝉の鳴き声、鹿威しの落ちる音はどこに行くこともなくおばあちゃんの手のひらの中に収まった。 「幸せになっておくれ」
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