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「山田先生?」
確信もなくそう言うと、初老の男はゆっくりと頷いた。
「久しぶりだね」
「どうしてこんなところに?」
「君達が卒業する頃に合わせて辞職したんだ。それからは、友人の伝で居酒屋で働くようになってね。最近ようやく自分の店を持てるようになったんだ」
「そう、なんですか」
そうだったろうか。先生のことは憶えている。でも、辞めたなんて知らなかった。
「先生のこと、判るんだ?」
「お世話になった人だから、そりゃあね」
「私のことは?」
「なに言ってるんだ。犬川麗香さん、でしょ?」
「藤沢さ、ここに来たとき皆のこと判ってた?」
「いや、その、実を言うとちゃんとは思い出せてなくて、名前も思い出せない人が多かったかな」
犬川が赤井と目を合わせた。すると、赤井はやっぱりか、と呟く。
「なあ、変だと思わなかったか? お前、休みがちだったとはいえ小学校の記憶、ほとんどないんじゃないか」
「それは、そうだけど」
「よう、藤沢。お前、中学の記憶なんてほぼないんじゃないか」
渡辺の指摘に、俺は思わず声に詰まった。
その通りだった。小学校の記憶は断片的に残っていて、高校以降は確かに憶えているのに、その部分だけ思い出せない。
いや、それよりも、俺には小学校と中学校を卒業した記憶がない。それどころか、中学には入学式に出た憶えもない。
記憶そのものが欠けている。
口に手を当て、絶句した。俺にはあるべき記憶が存在していない。
「気付いたみたいね。でも、本当に覚悟が必要なのはここからなの」
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