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「飲み過ぎんなよ。明日も仕事だろ?」
「明日は昼からだからいいんだ」
「へえ? 心置きなくやけ酒ってわけか。まあ、最悪タクシーには押し込んでやるよ」
「ご親切に、どうも」
引き攣った笑みも、肉親には通用しない。
適度な距離感で僕のグラスにだけ注目している翔兄さんの視線を振り切ると、また一人、思考の波へと引き戻されていく。
羽村さんが、好きだった。
いや、無理矢理『だった』と過去形にしているだけで、まだ心に燻る気持ちがあることを否定はできない。
好きだ。好きだった。まだ好きだ。当然だ。
真面目すぎる仕事への態度も、その割に恋愛が絡むと不器用なところも、全部可愛らしくて愛しかった。
初めて二人で飲みに行ったときの赤く上気した頬も、さりげなく撫でた髪の心地良さも、小さくて柔らかい手も、抱き寄せた細い肩も、何もかも。
心に隠した情欲をかき立てるには十分な、魅力があった。
キリッとしたその表情が、崩れるところを見たい。
その顔が甘くほどけるところを、その体が開いていくところを、見たい。
隠した欲が膨れ上がっていくのを、抑える術はなかった。
出来ることならすべて奪い去ってしまいたかった。
きっと彼女は、僕のこんな欲にまみれてどろどろに歪んだ気持ちを、欠片も知らない。
僕のことを紳士だと言った彼女には…。
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