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「振られたか、そうか。じゃあもう羽村(はむら)さんはウチには来てくれないのかな、残念だ」
「…」
大げさなくらい溜息を吐いたのは、正真正銘、血のつながった兄だ。
傷心の僕のことより、僕が好きだった彼女の方が気になるらしい。
なんて薄情な兄だろう。
僕はここに来て何度目になるかわからない溜息を吐いた。
…羽村さんと、あの交差点で別れてから。
しばらくタクシーに乗る気にもなれず、とぼとぼと歩いた。
羽村さんの幸せを願いながら歩く夜道は、いつもより暗く空気も重く感じた。
最後の握手も、別れの言葉も、すべてが気持ちを整理するためのものだったはずなのに。
それでもやっぱり割り切れないのは、仕方のないことだ…と、思いたい。
そのくらい、僕は彼女を好きだったんだから。
俯いたまま歩いていた僕は、不意に、まっすぐ帰って一人で部屋にいるシーンが浮かんだ。
暗い部屋に自分で電気をつけて、誰もいないのに『ただいま』を言う。
そんな想像をした途端…何だかいても立ってもいられなくなって、ここに来ていた。
翔(かける)兄さんのバー、『piece』。
兄とその妻が経営しているこのバーは、僕にとっては実家よりも近い存在だ。
構って欲しければ構ってくれるし、放っておいて欲しいときはただお酒を提供してくれる。
付かず、離れず、それでいて心地良い距離を保ってくれるのが有り難い。
ただ、兄弟というものは…何というか、近すぎて時に残酷だ。
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