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「…羽村さんに、会ったよ」
翔兄さんは一瞬だけぴくり、と反応してから、事も無げに言う。
「へえ? 仕事でか?」
「ううん、偶然、駅前でね。ついさっきのことだよ」
「そうか」
僕はまたビールを一口飲み込んで、ふう、と息を吐いた。
「長瀬さん…いや、彼氏と一緒だった。思わず声をかけちゃったよ」
「なんて?」
「…挨拶しただけだけどね。ああ、あとは“piece”に来るように、って」
そう言うと、グラスを磨いていた翔兄さんの手が止まった。
わずかに目を見開いた兄は、僕の反応を窺っているようにも見える。
口には出さないが、失恋した弟のことを心配してくれているんだろうという予測くらいはついていた。
僕は少々恨めしい目を翔兄さんに向けて、わざとおどけて言った。
「翔兄さんの圧力が怖いって伝えたよ。これ以上僕のせいにされたくないからね」
「…それはそれは。宣伝、ありがとう」
くくっ、と笑った翔兄さんは、小さめのグラスを手に取り、ビールを注いだ。
綺麗に分かれた泡と液体、それが落ち着くのを待って、僕の方に掲げる。
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