プロローグ

1/17
132人が本棚に入れています
本棚に追加
/725ページ

プロローグ

米CIAの密命を受けて駐日している日系4世のアメリカ人、ジェームス山下が上司のバレンタイン局長に呼び出されたのは任期明けも近い在任五年目の春のことである。この極東の島国からアメリカ本土への復帰を目論むジェームスの前に立ち塞がったのは『アウト・ドアーズ』という名の合成麻薬であった。 その白い錠剤を呑んだ者は、皆一様に観覧車の幻覚を見るという。クスリを呑むと急速に体が浮き上がり、身の回りの現実の光景がブラインドカーテンのように亀裂が入って消滅し、その向こうに夕陽に照らされた広大な草原が出現する。 自分はいつの間にか古びた観覧車に腰掛けており、草を波立たせている風に吹かれている。観覧車は軋みながらもゆっくりと回転していて、錆び付き、風防の割れたゴンドラが、ギシギシと揺れながら茜色に染まった夕焼け空に向かって昇ってゆく。上昇するにつれて体内に痺れるような快感が満ち溢れ安らぎと多幸感に包まれながら下降し始める。もっと乗っていたいと思うが、観覧車が一回転すると幻覚から醒める。 時間にして僅か十五分のショートトリップから目覚めた後は、日ごろのストレスが綺麗さっぱり消えてすがすがしい余韻だけが残っている。副作用も報告されず安全極まりない癒し系ライトドラッグとして認識されていたこのクスリに、思わぬトラップが仕掛けられていたことが判明したのはブームになって半年後であった。 トリップの終了までおとなしく観覧車に座っていれば何事も起らないのだが、使用を重ねるうちに眼下に広がる草原へ飛び降りてみたいという願望が芽生えるのだという。風になびく草の波が自分を手招いているように見えるらしい。 誘惑に負けて草原に飛び降りるとどうなるか、観覧車から身を投げ出したとたんに自分の体は空中で静止し、その後スローモーションのようにゆっくりと下降してゆく。
/725ページ

最初のコメントを投稿しよう!