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「俺、誘惑に弱いから下手に誘惑するのは禁止な?」
「私に誘惑なんてできるわけないじゃない。紫苑が思うより、私、男っぽいから」
って、仕事帰りのOLお姉さんの服装で言われても、とてもそうは思えない。
膝丈のタイトスカート、上は白いノースリーブブラウス。
ビリヤードを教えてやるように、隣に並んでキューの持ち方指導すると、ブラウスの胸元が見える。
千香は俺の顔を見上げて、ビリヤードする気満々のように、教えを乞う。
その手にふれて、指の形を教えてやると、少しだけ恥ずかしそうに目を伏せて。
…かわいいし。
差し出されるなら手を出してみたい女。
なんて思っていたら、近くの机に隆太が飲み物を音を立てて不機嫌においた。
振り返って隆太を見ると、隆太は俺を睨むように見てくる。
「……ごめん。邪魔?」
と、千香が睨まれたと思ったらしく、凹んだ様子で隆太に聞いた。
「いくら連れでも彼女持ちにかまってもらおうとするなよ」
「……そうだね。スギはいい気しないか。それ飲んだら帰る」
千香は隆太のそばの机に向かい、椅子に座ると煙草を取り出す。
…誘惑されてみたかったと残念に思う俺がいる。
…疲れていない、毎日楽しい…なんて、そんなことばかりでもないから。
たまには他の女に走ってみたくなる。
妬いてくれればまた愛しくなりそうで。
妬きたくないと言われて諦められそうで。
「コウも。トモちゃんにチクるぞ」
「…おまえが嫉妬してもうれしくない」
俺は答えて、キューを台の上において、千香の隣の椅子に座る。
千香の煙草を一本もらって一服。
「嫉妬じゃない。千香はただの元カノ。おまえが喧嘩のネタをつくるようなことしようとしているから注意してやっただけ」
正論吐くから嫌いだ。
千香は居場所なさげに俯いてくれるし。
「はいはい。もうしないって。楽しく遊んでるだけだから、おまえはもう仕事に戻れ。うるさい」
「…そんなのだからトモちゃんに信じてもらえずに簡単に別れようとされるんだろ。ちゃんと受け止めろよ。俺はまちがったことを言ってるつもりはない」
うるさい…。
「…ごめん。私が悪いから。紫苑を責めないで。紫苑が優しいからいい気になった。…ごめんなさい」
千香は煙草をあまり吸うこともなく、飲み物に口をつけることなく、金を机の上におくと、逃げるように店から出ていった。
隆太はその背中を見る。
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