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凜の人知れぬ煩悶はさておいて。
二人の他愛ない会話に乗って、朝の時間は緩やかに過ぎていく。
会話の内容は料理に関する話から、斜向かいの家にノラ猫が入り込んだ話だとか、先日まわってきた回覧板の内容に関する話など、取り留めもなく雑多をきわめたものだった。しかし二人とも話の脈絡などにはあまり拘らず、その広がりに身をゆだねるようにして互いの言葉に耳を傾けている。
そこには、長年の付き合いから生まれる自然な親子のつながりが、朧気ながらも確かに感じられた。相手の呼吸、話のリズム、言葉の紡ぎ方、それらを互いによく知る二人であるからこそ、そのやり取りの中に窮屈な気構えは感じられない。
真に互いを熟知した者同士の間に成り立つ意思疎通とは、えてして断片的であり形式ばった縁取りを排したものである。
相手への信頼がそうさせるのだろう。互いに意識せずとも相手の言葉は理解できるし、それは双方とも同じ条件であることを、彼らは経験からよく知っているのだった。
はたから見れば理想の親子像。
言葉には出さずとも、そこには確かに"絆"と呼ぶべきものがある。
それは、血縁などという遺伝子的なものでなく、二人が個々の人間として心でつながったかけがえのない証。現代社会ではときに迷信的とまで言われる結びつきではあるが、彼ら親子にとって、それは一際に重要な意味を持つものだった。
ふと、修が食事の手を止めて、何かを懐かしむように窓の外へと目を向けた。
その先には手狭ながらも庭があり、そこからは一枚の塀を隔てて道路に立つ電信柱の姿が細くのぞいている。修の視線は、その塀越しに顔を出す細い電柱の姿を静かに見つめていた。
「……? 父さん、どうかしたの」
そんな父の、どこか郷愁を帯びたような眼差しを見て、凛は不思議そうに問いかける。
その言葉に修はハッとして視線を戻し、何か後ろめたさを取り繕うように言った。
「あぁ、あの電信柱の下でお前を拾って、もうすぐ十五年になるのかと思ってな……」
修の言葉には、懐かしみとともにどこか切なそうな響きがあった。
凜もまた、それを聞いて神妙な心持ちにならざるを得ない。
そこにあるのは、今となっては小さく古い記憶の欠片。
しかし、二人の関係を語るには決して避けえぬエピソード。
それは、今よりもずっと前、凛と修が『家族』となる前の、遠く懐かしい記憶だった。
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