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彼女の父親――修は、世間で俗に"主夫"と呼ばれる類の人間である。平素はもっぱら単独で家事に取り組み、安穏かつ潤滑な生活を保障する。それはいわば現代における家庭の守護者であり、有り体に言えば単に物好きなオッサンなのだった。
長きにわたる主夫生活の賜物か、はたまた天性の気質によるものか。料理における彼の達者ぶりといえば、凜の知る限りにおいて比肩する者がいないほどに頭一つ抜けている。
冴原家の一員としては、労せず美味なまかないにありつけるのは幸福なことである。
しかし、男性の作る料理が自分よりも美味く、ただ一方的にそれを食する立場に甘んずることは、なんだか女性としての面目を潰されているようでいて釈然としない――というのが彼女の正直な感想であった。
家庭内における女性の地位を守るため、真の趣味人たる父親に拮抗するには自身も同じ土俵に立たねば始まらない。その論理は彼女自身の潔さゆえであったのか。
かくして、半ば固執にも似た彼女の孤独な戦いは、その敵対者に関知されることも無く水面下で黙々と彼女の自己嫌悪を推進させるものとなったのだ。
他人に葛藤を悟らせるほど、凜のガードは甘くない。
そんな彼女であるからこそ、今のこの状況はどこか窮まっているようにも思われた。
「……はぁ……」
溜息は今一度、やるせなさを吐き出すように彼女の口から洩れ出でた。
まるで霞を切るような孤軍奮闘。端から見れば滑稽なことこの上ない。
無為に落した視線の先、彼女の手がけた味噌汁は作り手の心理も知らず、マイペースにゆらゆらと湯気を上げていた。
彼女の胸に去来するのは一抹の虚しさと、小さく可憐な誇らしさ。
ときに、高潔であることと負けず嫌いということは、何処か似た概念なのではないかと、悩み多き少女はそんなことにぼんやりとした思いを馳せるのだった。
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