第一章

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 数日前から現れた時季的にも少し早い肥大な入道雲が風で流されて行く。それを見て初枝がニコニコ笑う。本日は快晴。入道雲はどこかに流され雨の心配はなくなった。 「おじいさん、今年も咲くと良いわねー」  今は孫の居場所になった大切な思い出が眠る書斎に面するブロック塀の基礎部分に、初枝がそう語り掛けた。  季節の花が咲く狭い庭で、そこだけがまだ砂地で主が帰ってくるのをジッと待っている様に見える。それはあながち間違いじゃないのか、その周辺に自生した雑草が初枝の軽快な鎌裁きでドンドン刈られて行くのである。  そんな具合に初枝が草刈を始めた頃には、斎藤陽介の快進撃が始まっていた。 昨日、迷子のおりたまたま見つけた商店街を奔走し、こんな自分でも出来る仕事がありそうな店を概観で検討を付けては、恐怖に震える脚を何回も叩いて奮い立たせた。 「君どんな事出来るの? 調理は? 接客は? 髪切りなよ不衛生なんだけど」 「立ち仕事は厳しいわよ? 君に出来るとは思わないわ」  非難囂々。ただでさえ店側の都合など考えない自分勝手な面接の要求に店長始めオーナー達は苦言を呈する。  だが、それでも陽介は挫けなかった。どんな事を言われても尻込みせずに 「一からやり直したいんです! どうかお願いします」  と、伸び切って痛んだ髪を上下に何回も何回も動かしながら言い続けた。  しかし、やはり見た目と経験不足が原因でことごとく玉砕した。自分を変えたいから頑張る。自己変革の心意気は痛いほど分るのだが、義理人情と愛嬌が要の商売でも、店の経済的にも店長の人生にも大きく関わる人事採用に、自分勝手で自我主義者と思われる発言をする輩、しかも履歴書も提示しない何処の馬の骨かも分らない見るからに気の弱そうな世間知らずを雇うのにはそれなりの勇気がいる。 「今はド素人をあいてする暇はねーんだ、悪いな」 「ごめんね、忙しいから次の機会にして」  この不景気の世の中で綺麗事だけでは生きてはイケない。それは陽介自身も分ってはいるが、ここまで否定されるとは思わなかった。意気込みだけは充分だと思っていた。むしろそれ以上は必要ないと自分勝手に思っていた。  だが、現実は想像以上に厳しい。どの店長も陽介を貧乏神の様に扱い取り入ってはくれなかった。 「……くそ……くそお……」
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