第一章

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それが彼女との出会い。喧騒とした駅の鈍よりとしたホームの隅で、陽介は心底に封印した何かを刺激されたのが何となくだが分かった。それを何かに例えるなら、深海の様に一切の輝きのない心の奥に、微かな光の柱が出来た様な気がするのだ。 「じゃあ、今度は無くさない様に。あ、これ良かったら差し上げますね? 大事な物ですけど私はあまり使わないので貴方が使って下さい」  そんな大切な物を簡単に手放す彼女を見上げる。 「……?……」――、何故?  彼女の頬笑みに胸騒ぎを感じる。その向日葵は君のなの? せめてそう聞き返せば良かった。だが、何も言えないまま陽介の前から彼女は終始大事そうに抱えていた花と共に深々とお辞儀をすると、電車を待つ人々の陰に消えて行ってしまった。  その別れ際に何を思ったのか橙色の切符を抜き取り手渡された彼女の定期入れ。きっと換わりのの定期入れを持っているであろう。だから他意は無いただの贈り物だと思った陽介は、彼女から渡された彼岸花の刺繍が施されたどこか年期を感じる定期入れをじっと見つめていた。  ――大事な物じゃないのか……? 疑問と心地よい動悸と猛暑が貼りついて離れない正午であった。                      そんな出会いが夢だったかの様に、それからの陽介を取り巻く環境は人ごみ人ごみ人ごみ。どこに行こうが擦れ違う人々は多忙を顔面に貼り付けた人間ばかりで、本日上京したてで右も左の分からない大都会で道に迷う陽介など気遣う素振りはなかった。 ――あの子は幻だったのか? 暑さと迷子での不安で彼女の笑みが消える。――だが、白ワンピを背景に、灼熱の日が射す大地でも枯れる事はおろか自ら輝く光は一層強まるばかり。 「使えって事かな? そうしか考えられないよな」  陽介は唯一彼女との出会いを証明する定期入れをボストンバックに大事に仕舞っている。これを持っていればまた彼女に会えるかもしれない。そう思い人で出来た河の中を新住所の書かれたメモを握りながら進んだ。 「ここか……」  それからそこら中を右往左往した結果、茜色と紺碧が混ざる世界で陽介は漸く新住居を発見して何故か溜息を吐き出した。
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