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あのお婆さんは、父のご贔屓さんだ。小さい頃、父と話しているのを数回見たことがある。
背筋をしゃんと伸ばして、いつも綺麗な着物を纏っていた。笑顔の綺麗なお婆さんだった。
息子の辰之助と紹介され、挨拶をしたこともある。僕のことを大層気に入ってくれていた。
ごめんなさい。他人のふりして、助けるのが遅くて。
多分もっと早く気付けていたなら、すぐに駆け寄りもしたのに。
漸く気付けたのは、笑顔を見た時だったから。だから、感謝されたことよりも、罪悪感が自分を貪る。
「坊っちゃん?」
十センチの隙間から松さんが覗く。
「どうしたのですか?そんな固まって。な……泣いておられるのですか?」
勢いよく引き戸が開く。あぁ、僕はこんなものも開けられずにいたのか。僕は泣いているのか。
「やはりどこかお怪我でもしたのでは……。無理なさらず、今日はゆっくり寝ることですよ。食事は坊っちゃんの部屋に運びますから」
いい、そこまでしてもらうのは申し訳ないし、自分自身もつらい。それなら誰か一緒に居てくれた方がいい。
その時、ふっと頭に浮かんだ顔があった。何で浮かぶかな、君が。
「い、いいです。すみません、ちゃんと居間で食べさしてもらいます。ご心配をおかけしてすみません」
「そうですか。いや、本当に無理なさらずに。では行きましょうか」
にこりと笑うこの人に、僕は何度救われてきたか。
取り敢えず、ご飯を食べよう。その後、父に報告しにいこう。
そして、僕は脱衣場を出た。
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