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結局、意地で一時間粘ってチャイを飲んだ私は、その後、夕飯の時間さえ忘れて近くの古本屋に入り浸っていた。
探すのはもちろん歌舞伎の絵。絵の勉強のため、そして趣味としてがさがさ漁る。店主のしかめっ面なんか気にしない。
なんとも言えない古本の香りが鼻孔から肺に入り、そして体全体を覆っていく。
これがたまりませんのよ、埃っぽいっというのに、深呼吸をしたくなる。
「お嬢ちゃん、そこ崩れやすいから気ぃ付けな」
孫の手でびっと指す、還暦をとうに越えているであろうマッスルなおじいちゃん店主。
はいはい気を付けますと言った途端、それを崩す私の肘。
ほら言わんこっちゃない!と店主の怒りのオーラが漂ってくるけれど、別に構わない。
だって求めていたものを見つけてしまったのですから。
「傾城」の傾城。それを恐らく新田屋二代目砂川朔五郎が演じている一枚絵。
紺の下地に舞う金色の桜が美しい。そんな着物を纏って、振り替えるような所作で止まっている。
息を飲む、というほどの美しさはこれか、と知る。辰之助くんも素晴らしかったけれど、流石にこれには敵わないわ。
「だめやよ、それ非売品」
えっなんで、それは余りにもひどいやないの!「非売品やのに何でこんな隠れたところに置くんです!ここに置いたら商品でしょう」と食い下がる。
それでも「あかん」の一点張り。何でよ、そんなに大切なもんなの?
そら、もう店仕舞いするから帰っておくれ。ガラガラとシャッターを下ろし始める店主。時計を見れば八時を回ろうとしていた。
あかん、遅すぎたら閉め出されてまう。しゃあない、諦めるか。
どうもお邪魔しました、と声を投げて、急ぐ足。ここから家まで早くて二十分はかかる。半までには帰らな。
三条京阪から京阪に飛び乗って伏見桃山を目指す。そこから降りて、商店街を五分ほど歩かなければいけない。
あーあ、家が祇園四条にあったらええんに。分家やからってこっちに来んでもよかったのに。
小さくついた溜め息が京阪のシートに吸われていった。
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