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「ん…?」
午後の陽が傾き始めた空を本田は見上げた。
柝(き)の音が聞こえたのだ。
「本田くん?どうしたの?」
本田の隣には、十代後半のお嬢様風の女の子がいる。
「何でもないよ」
本田はニコっと笑う。
本田はスカイツリーの下を流れる十間川沿いの遊歩道を女の子と歩いていた。
相手は彼女と呼べる特別な関係ではない。
ただのデートだ。
「あのさ、俺…この後用事あって。ここでバイバイでもいい?」
本田は首を傾げながら申し訳なさそうに言った。
「あ…うん」
突然、別れを切り出された女の子は戸惑って曖昧に答えた。
「じゃあね」
本田は軽く手を上げて、背を向ける。
その背に女の子は慌てて声を掛ける。
「本田くん!今度はいつ会える?」
「ごめん。もう会えない。好きな子いるんだ、俺」
黄昏の空とスカイツリーを背に、本田は無表情で、そう告げると足早に去る。
「さよなら、フリフリのお嬢様…クス」
本田は一人、ほくそ笑む。
「思ったより早く『知らせ』が鳴ったな」
本田は言問橋を渡り、スカイツリーのある墨田区から、浅草のある台東区へ入った。
「役者は揃った…ハハ」
知らせの柝(き)は役者が全員、楽屋に到着した時に鳴らされる。
江戸時代、中村座、市村座、森田座の江戸三座と呼ばれる歌舞伎の芝居小屋が集まり、歓楽街として栄えた猿若町へ本田は急いだ。
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