浅き夢見じ 酔ひもせず

10/12
前へ
/291ページ
次へ
「ん…?」 午後の陽が傾き始めた空を本田は見上げた。 柝(き)の音が聞こえたのだ。 「本田くん?どうしたの?」 本田の隣には、十代後半のお嬢様風の女の子がいる。 「何でもないよ」 本田はニコっと笑う。 本田はスカイツリーの下を流れる十間川沿いの遊歩道を女の子と歩いていた。 相手は彼女と呼べる特別な関係ではない。 ただのデートだ。 「あのさ、俺…この後用事あって。ここでバイバイでもいい?」 本田は首を傾げながら申し訳なさそうに言った。 「あ…うん」 突然、別れを切り出された女の子は戸惑って曖昧に答えた。 「じゃあね」 本田は軽く手を上げて、背を向ける。 その背に女の子は慌てて声を掛ける。 「本田くん!今度はいつ会える?」 「ごめん。もう会えない。好きな子いるんだ、俺」 黄昏の空とスカイツリーを背に、本田は無表情で、そう告げると足早に去る。 「さよなら、フリフリのお嬢様…クス」 本田は一人、ほくそ笑む。 「思ったより早く『知らせ』が鳴ったな」 本田は言問橋を渡り、スカイツリーのある墨田区から、浅草のある台東区へ入った。 「役者は揃った…ハハ」 知らせの柝(き)は役者が全員、楽屋に到着した時に鳴らされる。 江戸時代、中村座、市村座、森田座の江戸三座と呼ばれる歌舞伎の芝居小屋が集まり、歓楽街として栄えた猿若町へ本田は急いだ。image=464552132.jpg
/291ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4399人が本棚に入れています
本棚に追加