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窓から差し込む朝日に薄らと瞼を開ける。
朝の静寂に混じって、鼓膜に染み込むものは聞き慣れた音。
包丁でまな板を叩く、リズミカルな音。
それを耳にした途端、瞬時に覚醒する。
いつも迎える朝の日常とは少しだけかけ離れているのだ。
この家には僕以外の人間がいる。一人だけ存在する。
けれど、今しがた聞こえてきた音から推測するに、彼女がこんなことをするなんてほとんど希だと言っていい。
だからこそ、はっきりとした違和感に僕の頭は冷静に覚めていった。
部屋の中に服を脱ぎ散らかして着替えると、自室を出る。
まっすぐにリビングに辿り着くと、案の定そこに彼女は居た。
カウンター越しのキッチン。忙しなく歩きながら、朝食の準備をしている。
リビングに入ってきた僕に気づく気配はなかった。
「おはよう」
柔和な笑みと共に声を掛けると、一瞬動きを止めて僕へ顔を向ける。
色白な均整の取れた顔立ち。化粧をしていなくても、とても映えて見えた。
手に持っていた包丁をことりとシンクの上に置くと、スリッパの音を響かせて抱きついてくる。
胸に埋めた顔を上げて見上げる表情はどこか恍惚としていて、それに胸の内を這い回る嫌悪にも似た感情。
けれど、それに気づかない振りをして聞こえてくる声に耳を傾けた。
「おはよう、坊や。お腹すいたでしょう? 待っててね、今出来上がるから」
腰に腕を回して紡がれる言葉は、まるで恋人に贈るものだ。
けれど、その対象はそれとは違っていた。
自身の胎から産んだ、我が子に向けられたものだった。
それに変わらぬ笑みを向けて、やんわりと腕を解く。
キッチンへ戻っていく後ろ姿を眺めて、リビングのテーブルに着いた。
何気なく視線を這わせて、その所在はテレビへと向かう。
忙しなく鳴き続けるブラウン管は、同じニュースばかり流し続けていた。
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