其の一角 泣いた紅鬼

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*** *** 烏酉は全速力で代官の家へ向かっていた。目当ては鬼ガサの男だ。もはや彼女は正気ではない。忌わしい弐年前の記憶は脳裏に焼き付いて離れなかった。毎晩あの日の悪夢をみた。炎と血で包まれる自分の村。足元に転がった両親だった肉。 「許せない……許せない許せない許せないゆるせないユルセナイ!」 ――コロシテヤル。 無限に肥大して行く憎悪は彼女に武器を持たせるのさえ忘れさせた。すぐに代官の屋敷の前に着く。 「何だ? 娘?」 門番の役人が不信の目で烏酉を睨みつける。 「此処は餓鬼の来るところじゃないぞ! さっさと帰…………」 その瞬間、門番の身体が二つに別れた。激しい血飛沫の中、鬼笠の男が薄ら笑いを浮かべて現われてきた。 「うっ!」 烏酉はそれを見てひどい不快感と吐き気に襲われ、その場にうずくまった。目の前で人間が斬られた。今まで生きて話していた人間が唯の肉の塊になった。その風景は確かに弐年前に見た事がある。だが、町人の彼女が耐えられるものではない。それもあるが、もう壱点、烏酉の今までの憎悪を急速に不快感へと変えた点がある。男の手には、先程まで代官と悪だくみをしていた萬城の頭部が握られていた。 「ひゃははははははは! どうですか? 私は討ち取りましたよ! 私達に襲い来る無礼者を! また! だから喜んでください! どうして! どうして! そんな顔をなさるのですか! どうして!」 鬼笠の男は萬城の首を掲げ、何もない虚空へとまるで誰かに訴えかける様に叫ぶ。烏酉は確信する。この男は完全にオワッテいる。そしてようやく冷静な判断をした烏酉は自身の過ちに気付いた。この男は自身の追っている鬼ガサの侍ではない。あの侍は鬼の紋章が描かれた傘を差していたのだ。それだけではない。弐年前のあの日、彼女はあの侍の傘を差した後ろ姿しか見ていないが、目の前の男とは似ても似つかない体格をしていたのを覚えている。女性だか男性だか見分けがつかないほど痩せ細った体に半身黒、半身白の襤褸(ぼろ)着を着流していた。まるで幽霊が死に装束を纏っている様だった。その忌むべき記憶を反復している烏酉を、鬼笠の男の眼がとらえた。笠の下から見える濁った泥の様な眼から感じ取れるのは狂気狂気狂気狂気狂気狂気ただそれだけだ。
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