其の一角 泣いた紅鬼

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「エエか? 譲ちゃん」 萬城が丸い顔を烏酉にゆっくり近付けて、気持ち悪い笑みをたたえながら言った。 「商人のワテが世の中のこと教えたるわ。ええか、真実なんて如何でもええんや! (ちから)が有ればエエねん! お前等が借りていようが無かろうが富豪(きょうしゃ)のワテが貸した言ってんねんから間違いないんや」 自己中心的なねじ曲がった理念を押し付ける。不快だ。吐き気がするほどに。人の歪んだ(くら)い感情を前に烏酉は沈黙するしか無かった。この状況で何か言ったら、今刃を向けられている侍に人斬り御免されるだろう。烏酉はそれでも構わないと思えた。もう、この世に未練は無い。大切な物は何もかも奪われてしまった。二年前の惨劇で……。しかし、そんな彼女の絶望を断ち切るがごとく、烏酉に刀を向けていた侍の手が、地面に落ちた。生々しい音を立てて。 「ひゃああああああああああああああああ! 手がぁ! 俺の手がぁ!」 烏酉も侍も何が起こったのか解らなかった。ただ、二人の間に紺色の旅装束を着た灰髪の侍、竜童赤龍が血の滴る一本の刀を握ってそこに存在していた。何時の間に、この間合いに入ったのか誰一人として解らなかった。 「な……何や、お前? そこの娘を助けようと言うんか! そんなことして何になるってんねん! ええか! ワテはなぁ……」 そう言いかけた萬城の顔に、赤龍の刃が向けられる。赤龍は紅い瞳で萬城を睨みつけた。その眼に、萬城はだらしなく怖気づく。 「安心しろ小娘。お前がやってることはバカだが正しい。刀なんて、この世には存在しなくていい。人斬り包丁って言うぐらいだ。初めから刀は人を殺める為だけに存在している。そして、それを扱う俺達侍も人を殺す為に生きている様なもんだ。だから、その想いは無駄にするな。大切な物を奪われたことへの悲しみと、奪った者への憎悪を捨てて死に急ぐな」 それが、烏酉が赤龍から初めて言われた言葉だった。烏酉はそれでも、いや、だからこそ混乱した。人を殺めることしか考えてないと自称する目の前の侍が、どうして自分を守ろうとしているのかと。 「なら、どうしてアタシを助けようとするのよ! どうして?」 赤龍は烏酉の質問を背中で受け止めて、薄ら笑いを浮かべながら答えた。愚問だとでも言わんばかりに。滑稽だとでも言わんばかりに。
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