阿砂呉村

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「グジュル…グジュル…」男が口のなかで耳障りな音を立て始めた。 「え!?」遙は目をむいた。 男の歯も真っ赤に染まっていた。 「グワオッ!」 裂けるほど口を広げたその化け物は、四つん這いの状態で遙に突進した。 「きゃっ!」突然の男の行動に遙は悲鳴を上げ、玄関の段差から滑り落ちた。 「ソ、ト、コオオオオ!」 仰向けになった遙に男が覆い被さってくる。 「いやあああああ!」 遙は咄嗟に、母親の靴べらを靴棚から掴み取った。 男の左目に向かって突く。 長さ20センチほどのプラスチック製の鋭利な先が、男の片目に突き刺さった。 「グワッ!!」 血が噴出した。遙に男のどす黒い液体が飛び散る。 手についた血の感触を、遙は親指と人差し指で確かめた。 ぬめりとした感触。 男に目を向ける。 「あ・・・ご、ごめんなさい」無意識に言葉を発した遙は、ゴルフクラブを手に取ると素早く立ち上がった。 靴べらを抜こうとしていた男は、逃がすまいと遥の足首を鷲掴みした。 「ウゴオオオオオ!」 「なんなの!? なんなのよ!?」遥は、握ったゴルフクラブを男の背中に何度も振り下ろした。 「離して! 離してよ!!」 「グオッ!」 男は獣のような唸り声を上げた。 やがて男は動かなくなった。 遙は呼吸を乱しながら男から離れ、ゴルフクラブを床に落とした。 「私、人を殺したの? ど、どうしたらいいの…?」 遙は混乱した。 しばらくして、男を見下ろした遙の目線は突き当たりの閉じられたふすまに向いた。 そこは6畳一間の物置として使われている和室部屋だった。 立て付けの悪いふすまが、がたがたと音を立てて開き始めた。 「ママ!?」すがるような気持ちで、遙は声を上げた。
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