第伍章:戦人どもの集う地

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第伍章:戦人どもの集う地

        『王者』袁紹  字は本初。この時代、四世三公の名門、袁家の中でも最高と評された。堂々として威厳のある風貌であり、身分に関わらず下手に出たので、大勢の人材が袁紹の元に集まった。  優柔不断でのんびり屋という印象が強いが、一時は天下に最も近い男だったことに間違いはない。  特に初期は武勇伝が多い。まず何進死後、袁紹は袁術と共に宦官二千人の虐殺を行う。それから董卓に帝を奪われた後、帝を廃し劉協を立てようとした董卓に「天下は広い。あなただけが英雄ではない」と言って董卓を斬る構えを見せた(この後董卓は袁家の力を恐れ、袁紹を渤海太守に任じた)その後、反董卓連合の盟主に推される。また、公孫サンとの界橋の戦いでは手薄になった本陣を強襲されるも、逃げろという田豊を無視し「大丈夫たる者、垣根に隠れてまで行きようとするものではない」と叫び留まった。この言葉に勇気を出した味方が盛り返し公孫サンを撃退した。  ただし、曹操の反面教師的な行動が多く、しばしば悪例として紹介されるのは事実である。  陳寿は袁紹を劉表と合わせ「外面は寛大に見えるが内面は猜疑心が強く、謀を好みながら決断力に欠けていた。良い人材がいても用いきれず、良い献策も実行できなかった。長子を廃し庶子を後継に立て、死後に国を失ったことも不幸な出来事でない」とまとめた。
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