零時の誘蛾灯

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   * * *  子供のころから、虫の脚をもいで遊ぶのが好きだった。  よく昆虫を捕まえてはすべての脚を折った後、踏みつぶしたり、そのまま放置したり、水たまりに捨てたりしていた。 この話をすると大抵「虫が可哀想」だとか「お前は酷い奴だ」だとか言われる。 僕はそのたびに笑って誤魔化すが、いったいなぜ僕が酷い奴だと言われなければならないのかがわからない。 『可哀想』という感情を、僕は今までほとんど感じたことがない。  僕が最後に『可哀想』だと思ったのは、十年前に母が自殺したときのことだ。 不治の病に侵され人生に絶望した母は、病院を抜け出して崖から海へ飛び込み、腕も脚もバラバラになった状態で発見された。 母の葬儀の日。 僕は母が最後に作ってくれた『おまもり』という字が不器用に縫い付けられた白い小袋を手に握りしめ、棺にすがって泣いていた。 無惨な姿であちらへ行ってしまった母も、母に見捨てられた自分自身も可哀想だった。 全身全霊で泣きわめく僕に、父はいつも持ち歩いていた真鍮製の懐中時計を手渡して、たった一言、こう言った。 「泣くな」  最愛の妻を亡くしたというのに、父はまったく泣かなかった。 親戚達は「尚人さんは冷たい人だ」と父に対して陰口を叩いたり、過去に父の友人が事故死した話を持ち出して「あのときも今回もあいつが殺したんだ」と罵っていた。 どんな言葉を投げかけられても、父は毅然として葬儀をこなして行く。 その背中が、涙で歪む僕の視界にこの上なく大きく写っていた。  懐中時計はストップウォッチくらいの大きさで、フタの裏には【1993.12.12. S to N】と刻印されている。 Nが父のイニシャルだとして、Sは誰なのだろう。 母のイニシャルはSではないし、他にもイニシャルSの知り合いは見当たらないため、父がこの時計を誰から譲り受けたのかは今でもわからない。 だが、普段から持ち歩いていたことを思うと、大事な人から贈られた物ではないかと思う。 それを父は、母を失い、心の支えをなくした僕に預けてくれた。  父は、強い。 出世を蹴ってまで、外科医として医療の第一戦で人の命を救い続けている。 母の死を前にしても涙を流さなかったのは、普段から死というものと向かい合って来たことで培われた強さの証しなのだろう。 父のようになりたいと思った。 父のような、医師に。
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