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(まだ倒れぬ、まだ倒れられぬ。)
とハンベエは敵を一人、一人と倒し続けた。気の遠くなるほど時の流れは遅かった。しかし、何処までも何処までも耐え続けて諦めなければ、物事は好転し、命冥加の花も咲く。ふと気が付いてみれば、貴族一統はほとんど骸となって倒れていた。
目の前には、正眼に剣を構えてハンベエと対峙するテンゼンと、その背後から剣を抜いて構えを取っているノーバーとトネーガが居るばかりである。
ハンベエはいつの間にか自分の身体からすっかり汗が引いているのに気付いた。疲れも痛みも感じない不思議な感覚であった。ただ空気の流れに己が溶けてしまったかのような曰く言い難い静寂の中にあった。ほとんど無意識に闘い続けていたらしい。
テンゼンが剣先をハンベエの胸に擬して、ハンベエの呼吸を計っていた。
その眼には恐れの色は無い。既にハンベエは八十人を超える敵を屠っているのだが、テンゼンにはその事に驚いた様子は微塵も無い様子だ。
ハンベエはノロリと気の遠くなるような遅さで一歩踏み出した。
それを待っていたかのように、テンゼンが両手握りの剣で突き掛かって来た。全身を一つの塊とした、差し違えの必死必殺の念の籠もった突進であった。
一瞬遅れて、ハンベエの左の剣が繰り出された。キンッと火花を散らせて、二つの剣が交差し、互いの鎬を削った。ハンベエ得意の左手片手突きである。
テンゼンの突きには些かの揺るぎも見られなかったが、技の巧拙なのであろう。ハンベエの剣は真っ向テンゼンの喉首を貫き、テンゼンの剣の切っ先はハンベエの左肩を僅かに抉ったのみであった。
瞬時に剣を引き抜き、回り込むようにすれ違ったハンベエの後ろで、テンゼンがのめるように俯せに倒れる。
これを見たトネーガは腹心の従者が討たれて、最早これまでと思ったのか、剣を自らの首筋に押し当てると自決して果てた。
残るはノーバーただ一人である。
ノーバーは絶望と恐怖の入り混じった眼でハンベエを睨み付けていたが、一瞬ハンベエの背後に目を泳がせた後、
「殺すが良い。この化け物め。しかし、貴様のやって来るのを我等に教えたのは王女軍の使者だ。我等が滅んでも、殺し合いは終わらぬだろう。今度は身内同士、悪鬼となって殺し合うが良い。」
と呪いの言葉を浴びせた。
そのノーバーの言葉が終わらぬうちにハンベエは横っ飛びに身を転がせていた。
ハンベエの立っていた場所に十を数える矢が飛来していた。矢はハンベエの残像を貫いてノーバーを襲い、ノーバーは針鼠と化して無言のまま膝を曲げ、俯せに崩れ落ちた。
背後に眼を向けたハンベエの眼に映ったのは弓を携えた十人の弓兵であった。いつの間に現れたのか、ハンベエと貴族達が斬り合いを演じた区画の唯一の出入り口を背に横に距離を取って並び立っている。既に次の矢をつがえてハンベエに狙いを定めていた。
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