二百七十九 我も悪なり。彼も悪なり。

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 キーショウは瞬きもせずハンベエの眼を見詰めている。狙撃手特有の性質なのか、キーショウの面からは一切の感情が読み取れない。石のように無表情な顔がハンベエの両眼を射抜いていた。 「そう思わねえか?」  そうハンベエが更に問い掛けると、キーショウは左右の仲間を見回してから、ゆっくりと右手を挙げ、静かに振り下ろした。左右の者達は構えていた弓を降ろし、弓の弦を緩めた。  その後、キーショウを先頭にハンベエを射殺そうとしていた弓兵達は油断なくハンベエに眼を留めながら、入って来たであろうこの区画の出入り口から順々に出て行った。  一同が去った後もハンベエは両手に剣をぶら下げたまま、しばらく黙然と佇んでいた。 (モルフィネスの奴め、この俺を除こうと謀りやがったか。)  不思議と腹が立たなかった。  同じ事だと思った。自分は貴族達一統が今後のゴロデリア王国や王女エレナの為にならぬと思い、これを除こうとやって来た。モルフィネスはモルフィネスで、ハンベエの存在が今後のゴロデリア王国と王女の災厄になるものと判断して、この機会に取り除こうとした。それだけであった。  ハンベエはモルフィネスの策動に私の心、例えばハンベエに対する私怨の臭いを嗅ぎ取れない。むしろ、同じく悪謀を巡らせて来た者同士。鏡に映すように、彼の者が何に恐れを懐いてこの挙に出たのか見えるのである。 (俺も又、微妙な位置に立っているな。)  とハンベエは改めて我が身を省みた。流石に笑みは溢れなかったが、腹も立たない。少しばかり寂しさの滲む妙な気分であった。  キーショウ達が消えてから、両手に剣をぶら下げたままで貴族達を皆殺しにした区画を出ると、砦の兵士達がざわついていた。中で何かが起こっていた事には薄々気付いている様子であるが、敢えて放置していたらしい。砦内での貴族達の行動は原則関わる事が禁じられていたのかも知れない。ハンベエにとっては、自分の身がどうなっていようとも望ましい事ではあった。  だが、血塗れのハンベエの姿を目にした兵士は流石に真っ青になった。 「貴族達の様子を見に来たら、諍いになっちまった。面目ない。悪いが、後始末を頼む。」  とハンベエは気恥ずかしそうに言った。 「手傷を負われているようですが、大丈夫ですか。」  何しろ、相手がハンベエである。兵士は腰が引けそうな動揺を抑えながら辛うじて尋ねた。 「返り血だ。問題は無い。」  ハンベエは軽く肯いて、その場を去った。 「総司令官、どちらへ。」  去り際に、尚も声を掛ける兵士に、 「ドルバス将軍の所へ行って、顛末を報告する。」  とだけ答えた。
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