二百八十 綺麗は汚い 汚いは綺麗

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「ハンベエだ。入るぞ。」  ハンベエはそう断って部屋の戸を開けた。  部屋の中に机に腰掛けて読み物をしていたのを止めて、クルリと椅子の向きを変えたモルフィネスの姿が見えた。机の上にはハンベエが渡したラシャレーの手紙が拡げられていた。 「待っていた。」  とハンベエに正面を向けたモルフィネスは椅子に腰掛けたまま声を掛けた。  微妙に暗い陰影を帯びた表情であるが、声に後ろめたさや怯えの混じったものは無い。カラリと乾いた口調であった。  ハンベエは無言でモルフィネスを見詰めた。モルフィネスもハンベエを見詰めている。 「斬らぬのか?」  やや有って、モルフィネスが言った。  ハンベエは無言のまま、モルフィネスを見ている。 「そうか。」  とモルフィネスは言い、傍らから剣を取って腰掛けたまま抜いた。 「こうすれば、斬り易いか?」  と言葉を続ける。氷の鉄仮面の無表情を崩さない。顔半分を覆っていた繃帯は外されて、その左半分は髪で隠されている。静かに澄んだ右眼がハンベエに向けられたままである。 「それなんだがなあ。」  とハンベエは少し首を傾けて溜息を吐くように言った。 「お前を此処で斬っちまうと、この後王女を補佐してこの国を治めて行く者が居なくなる。」 「ハンベエがそれをすれば良いではないか。」 「俺が・・・・・・。人には向き不向きが有るだろう。大体人を治めようという奴は面倒見の良い奴じゃないと務まらねえ。戦も収まった後で、配下の者をあれやこれや気遣ってあくせくするのは俺は御免だぜ。とてもじゃないが、長続きするわけはねえ。」  とボヤくようなハンベエの言葉である。 「困った男だ。」  妙な事にモルフィネスも困った顔になった。とても、目の前の人間を抹殺しようとした陰謀を巡らせた人間には見えない。 「今更だが、俺をこの国から取り除こうとしたのに今は俺に斬れとは、気が変わったのか。」 「キーショウからパタンパでの一部始終報告を受けた。殺せないものは仕様が無いじゃないか。キーショウが弓の弦を切ってしまうなどとは思いも寄らぬ事であったが、その後他の狙撃手も弓を伏せてしまった。ハンベエには殺させない何かが有るのだろう。私は自分の判断は正しかったと信じてはいるが、それを思えば我が策謀の及ぶところでないと思わざるを得ないではないか。それより、私を憎いとは思わぬのか。」 「元々モルフィネスの事は虫が好かねえんだが、今回の件では何か腹が立たねえんだよな。俺が貴族どもを皆殺しにしたのも、お前が俺を取り除こうとしたのも根っこは同じ。先の事なんぞ誰も分かりっこないのに、予め害を取り除こうと企てるのは悪人の仕事だ。自分の悪心を省みれば、中々人の悪を咎めてばかりも居られられねえ。」
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