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叫んでみるが声が出ない。
「大丈夫。言葉は必要ないわ。
だって、私はあなたなのよ」
耳にかかる熱い吐息で少女との距離を知ることが出来た。
『どうするの』
「どうもしない。私はここから出る。そうすれば、二人は完全な存在になれるのよ」
『待って。二人一緒に出れないのなら私はどうなるの?』
思考だけの私の問いに少女は冷たい視線と共に答える。
「どうもしない。私の代わりにあなたがここで過ごすだけよ。二十年近い時間を私が一人で過ごした様にね」
何故私がこの少女の代わりにならなければならないの。見た事もない他人の為に……
「そうする事が自然の摂理、つまりは神の意思。時間が無い、さようなら」
『そんな。きちんと説明してちょうだい』
「大丈夫。あなたの存在が消える訳ではないのよ。あなたは私の中でこれからも生き続ける。ただ、それだけ」
私に群がるナメクジ達のお陰で扉は開ける事が出来る。
少女は一度だけ振り返ると、美しい瞳から流れ出る雫を細い指で拭い、扉を開き姿を消してしまった。
扉が閉まる音を合図にナメクジはスルリと触手を緩め、潮が引いていく様に再び扉の隙間から姿を消していった。
天井間近にある小窓から見える景色は相変わらず土砂降りの雨。
私は突然の目まいに襲われその場に倒れ込んでしまった。
遠のく意識。
視界が黒く反転していく……
頭の中で指を弾く音が聞こえた。
「……さん」
「……さん。大丈夫ですか」
視界が開け、目に眩しい白い光が差し込んでくる。
「ご気分はいかがですか」
目の前に現れたのはあの老婆。いや、顔付きは似通ってはいるがずっと若い。
しかも、白衣を纏っている。
「どうですか。ご自分の気持ちは分かりましたか」
一瞬にして記憶が蘇った。
そうだ。ここはメンタルクリニック。
私は自己の抱える心の悩みを催眠療法により引き出し、深層心理にある自らの意思を確認する為にこの場に居たのだった。
「決心はついた?」
「ええ、何となくですが」
「そう。焦る必要はないわ。性転換は後戻りが出来ない。ゆっくりと考えるのが一番よ」
「はい」
窓から見える梅雨空は薄っすらと明かりがさしている。
今日はもう、傘は必要なさそうだ。
もう少し。
あと少しだけ、このままでいよう。
そう。
私がその気になれば、いつでも飛び切り可愛いお姫様になれるのだから。
あの塔に日がさす迄は、このままで……
了
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