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 私は例の町工場の事務所を訪ねた。お中元にいただいたという素麺を御馳走になる。 「素麺なんてありきたりでごめんなさいね。そのかわりデザートにケーキを用意したから」 「あの、本当にお気遣いなく。こうしてお昼をご用意いただくだけでも十分なのに……」 「いいのよ。私が勝手にしてることなんだし」  竹で編まれたザルに一口大に丸めた素麺がきちんと上品に並ぶ。付けつゆも硝子の上品な猪口によそられてきた。素麺に鎌谷さんの母親を思い出す、流し素麺キットで食べる鎌谷家とはまるで違う。どちらがいい訳じゃ無い、いろいろなもてなし方がある、って。町工場の奥さんは何でもない素麺もケーキも娘さんに食べさせてあげたいんだろう。 『でも夫婦になったらそんなことも言ってられないよ? 今のうちから話し合えるような関係にしないと』  夫婦。話し合える関係。町工場の娘さんはどうしているだろう。クリスマスのころ見掛けた同じ位の歳の女性。もう小学生になるお子さんがいる。彼とうまくやってるなら、きちんと話し合える関係でいるということなんだろう。18歳の時に妊娠して出産を決意し駆け落ちを決意した。それが褒められるべきかは別にして、勇気があると思う。 「……」  学生時代の私がもし妊娠してたとして、そこまで出来ただろうか。親に堕ろせと言われて産むって言えただろうか、親と縁を切ってまで産みたいと思っただろうか。  そして今、妊娠してたとして柴さんの赤ちゃんを産む勇気はあるだろうか、相手が柴さんなら両親も反対もしないだろうけど。 .
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