感性と理性の対立

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具体的な例を挙げよう。 例えば『オレオレ詐欺』を行う人。 彼らが感じた感性は『自分は幸せになりたい』から始まり、『自分だけ幸せならば良い』と感じる事にたどり着き、その感情が正しい事なのだという理性が作られ、結論を導きだす。 『自分だけの幸せのために生きて当然だ』『騙される方が悪い』『弱肉強食の世界だろ?』 これらの生み出された理性が正しいと信じてしまった時に、人は犯罪を起こすとも言える。 『幸せになりたい』でも『誰かを傷付けたくない』と感じ『それだけは絶対にあってはならない。』と理性が生まれた時には、オレオレ詐欺の選択肢が人生から無くなるはずである。 感性と理性は別ではない。 どんな感性を身に付けたかで、どんな理性にたどり着くのかが解るし、どんな理性に従うかで、どんな感性を築いてしまうのかも決まってしまう。 感性が理性を育て、理性が感性を導く。 感性と理性とは、そういう間柄だ。 少し大きく見れば、男と女の関係もそんなところがある。 女が男を育て、男が女を導く。 それを理解し、感謝しあう事ができれば、きっと離婚に踏み切る夫婦は減るだろう。 人は、間違う生きものである。 間違うからこそ、一番大切な事は、昨日よりも今日、今日よりも明日へ、と前進していく事に違いない。 そうして成長も発展もあるのだと、心にとどめて置こうと改めて思った。
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