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「……また来るよ、母さん」
ちっとも目を覚まさない母にそう声を掛けると、掌の中に硝子で出来た青いおはじきを握らせて、僕は先ほど部屋に入ってきたのと同じドアを振り返って、そのまま廊下へと歩を進めた。
母の掌で覆い隠される寸前まで僕の網膜を焼いていた、とろりとしたおはじきの艶っぽさが、脳髄に突き刺さる。
きゅっ、きゅっ、と、リノリウムの床と僕のスニーカーの靴底が擦れ合って、まるで離れたくないとでも言うように泣き喚く。
でももう時間だ。行かなくてはならない。
西に傾いた日差しが、開放的に開け放された廊下の窓から、僕の肌を温める。
それすらも無視して、規則的な歩行で、一歩、一歩、前へ。
背後から女の声で誰かが僕を呼ぶような気配がしたけれど、聞こえない振りをして、そのまま玄関ロビーへ。
硝子張りの入り口から中庭へと踏み出した僕は、いつの間にか自分の頬が温かく濡れていることに、そこで初めて、気付いた。
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