とある散髪

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   失ったものは取り戻せない。それはつまり、失ってしまえばそれで終わるって事だ。きっとそうだ。そうに違いない。  だからってわけじゃないけど、髪を切ろうと思った。  これくらいの変化なら、失敗するという事は無いはずだし、なにより、髪の毛と一緒に、大事なものも切ってくれる気がしたから。 「らっしゃーせー。……と、お客さん、でいいんだよね?」  友達に紹介された美容院に入ると、心地好い空調設備と、換気が追いつかないほどの薬品臭がした。  中に居たのは、20代後半か半ばぐらいのお兄さんが1人だけ。ちょっとチャラチャラした服装と髪型だけど、顔が引き締まった感じだからか、真面目そうな印象を受けた。 「はい……。えっと、髪の毛を、切り、たくて……。柏木佐奈ちゃんの、紹、介、で」  ああ、どうしてもっと上手く回ってくれないんだろう、私の舌は。しかも言う順番間違えた。恥ずかしい。 「柏木佐奈ちゃん…………。ああ、富永高校に通ってるほうの佐奈ちゃんね」  苗字より通っている高校のほうがメインみたいな言い換えをする美容師さん。  その人はすごく自然に、満面の笑みを浮かべて小首を折る。 「ま、とりあえず座ってよ」  言いながら、3つ並んだ椅子を適当に示してきた。どこでもいいという事だろうか。正直、そういう対応が1番困る。 「おっと、これは失礼したね」  だけど、美容師さんはすぐそれに気付いて、「じゃあ、ここ」と、しっかりと場所を示してくれた。私はまだ何も言っていないのに。 「佐奈ちゃんの友達っていうから、佐奈ちゃんの時みたいな対応しちゃったよ。ごめんね」 「あ、はい、いえ……」  成る程、そういう事なら。て思ったけど、私に気を使ってくれている美容師さんに気を使い返す事も出来ない私は、喉に詰まった魚の骨みたいな言葉達を、恥ずかしさと一緒に飲み込んだ。
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