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「ところで、今日はどうするの?」
ファサ、と軽やかに、私の目の下で白いクロスが舞い、そのまま柔らかく、首に巻かれた。
「え、っと、その……髪を、変えたくて……」
「あはは。それ以外の目的で美容室に来た人、俺は営業マンぐらいしか見た事ないよ」
そうですよねごめんなさい。それが言えない私は、俯くしか出来なかった。
「ああごめんごめん。悪気はあんまり無いんだ」
美容師さんは言う。あんまりって事は、少しはあるんだ。
「そういえばさっき、切りたいって言ってたよね?」
解ってたならからかわないで欲しかった。
見ると、鏡の中の私が膨れっ面になっているのが見えた。……あれ、普段私、人前で感情を顔に出す事無いのに。恥ずかしさ意外は、だけど。
「お、笑顔じゃないのが残念だけど、少しは緊張が解れたかな?」
美容師さんは私の肩に手を置いて、ニパァと笑う。
「さぁ、緊張が解れたところで、質問」
言いながら、鏡の中の美容師さんが、鏡の中の私の髪を一房、ひょいと持ち上げる。腰まで届くような、私の身体の1部。でも私には触れられているっていう感触は無くて、まるで違う映像を見せられているような気分になった。
「どんなふうに、変わりたい?」
問われ、私は改めて思う。
変わるんだ。
「あ……あのっ」
私は身を乗り出して、ああ、自分が見てたのは鏡だったと思い出し、振り向いた。
「お、おもいっきり、その……み、短くっ」
長年伸ばし続けた髪。それを切れば一緒に、この想いも、断ち切ってくれる気がするから。
――失恋をした。
その経験も、悲しさも、彼を思う、この気持ちも。全部、一緒に。
美容師さんは目を見開いて、驚いた様子で「いいの? すごく綺麗な黒髪なのに」と、確認してきた。
私は恥ずかしくなったから前を向き直して、頷く。だけど前には鏡があって、頷いた後に、鏡の中の美容師さんと目が合った。
鏡の中の私は上目遣いで、すごく弱々しく見えた。多分、本当に弱いんだろうけど。
でも、決めたんだ。
変わるって、決めたんだ。
だから、美容師さんから目は離さない。今目を離したら、この意思が、くじけちゃいそうな気がしたから。
それを察したからか、美容師さんは表情を一変。また、笑った。
「――うん。解った」
そして、この想いを断ち切るための、そう、言うなれば立会人の居ない断髪式が、始まった。
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