第零章

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 羅生門から走る。平安京からだいぶ離れた林の中を下人は道なき道を走っていた足を止めた。後ろを振り返らず、歩きながら呼吸を整える。  脇にはあの老婆から引き剥ぎをした着物がある。それを見て、下人は達成感を内にたぎらせる。くつくつと笑いが込み上げてきて、下人は声をあげた。  笑っていると熱に浮かされていた頭が冷えてきた。ばしゃりと冷や水を頭から被ったように、冷や汗がどっと出てくる。  (おれは引剥ぎをしたのか…)生きるためとはいえど、老婆の論理を口実に下人は完全に盗人となったのだが、下人が老婆にしたように、自身もやられる可能性があることに気付いた。己は老婆と違い、殺されるかもしれない。そう思うと下人は不意に怖くなった。  味方に見えていた夜の闇が怖くなった。小脇に抱える、老婆から剥ぎ取った着物が何かの化け物になるのではないか、と不気味で怖くなった。  だが、下人は喚かず、振り乱さなかった。否、できなかった。俄かにある矜持が押し留めたのだ。(逃げてはならぬ。背を向けてはならぬ。逃げるな、前を見据えろ。覚悟は決めただろ。貫け。怯えるな)胸中で唱える。呪文が雁字搦めに弱き心を縛り付けた。  腰に差した刀を撫でる。温かみのない金属が下人を動かした。  俯けていた顔を上げ、下人は歩き出した。刀に手を掛けて、林の中を進む。下人が歩く度に葉の擦れる音が辺りに響く。周りには誰も居ない。そのことに気付き、下人は苦笑した。(おれは、相当怯えていたのか…)と。  天を見上げる。葉の隙間からは月は見えなかったが、星が煌めいている。足を止めて、下人は木に寄りかかって座った。(眠ろう。明日、また動くのだから)目を瞑ると下人はすぐに眠りに落ちた。
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