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「……誤解をしないでいただきたいんですが、彼女は前の仕事仲間です。恋人などではありません。もちろん、今、恋人と呼べるような関係の女性はいませんので、恋人という役を演じる上で不都合などはありません。ですから、心配なさらずとも明日からきちんと定刻通りに馳せ参じますので、今日はお戻りください。ティティ嬢」
「あの、違うんです。私、今日からあなたのところで暮らすんです」
じっと目を見る。嘘を言っているわけではない。
「そのようなことは聞いておりませんが……」
「父さんには秘密です。言いなりにしてたらすぐ偽者だってばれちゃいますよ」
なんて女だ。
「ご心配にならずとも……」
「ダメですっ!私、だって、恋人と一緒に暮らしてるから、って言っちゃたんです!」
頭が痛い。えーと、つまり、その求婚者とやらに、ありもしない事実を植えつけたということか。
「……分かりました」
ぱぁっと顔が明るくなる。分かりやすい。
「契約は破棄です。戻りましょう」
このままだと本当に付き合うことになってしまう。さっきの今で申し訳ないが、あの優しそうな依頼主に断りに行こう。
体の向きを変える前に、胸に何か暖かいものが飛び込んできた。
「……何をしてるんですか」
飛び込んできたものにそう冷たく声をかけると、それはびくりと大きく震えて俺を見上げた。
一瞬の沈黙。
ティティは意を決したように、キッと俺を睨むと俺の胸倉を掴み背伸びをして口を合わせた。
「!?」
条件反射でティティの体を突き飛ばす。口を素早くぬぐって毒が口に入っていないか確かめる。しびれた感じはない。液体や粉末の気配もない。ただ、いやに唇が熱かった。
「き、既成事実ですっ」
突き飛ばされたことにさほどショックを受けていないのか、すぐに起き上がって俺の体に抱きつく。染み付いていた動きとはいえ、何も悪意のない子供を突き飛ばしてしまった負い目があり、俺はティティに抱き着かれているのを我慢した。
少しして、ティティが顔を上げる。
「怒ってないですか?」
「……突き飛ばして悪かった」
「いえ。……怒ってないですか?」
「過剰反応したのは昔の名残だ。……されたことに対しては何も感じてない」
あえて、キス、という言葉を避ける。……あんなのがキスであってたまるか。
「昔……何かあったんですか?」
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